虹色の雨

ありのままにひたすら綴る

ごはん

最近まで1日1食生活だった。
意欲がわかずにこたつで横になるばかり。
そして母に叱られた。
「あんた何それ。ごはん食べてないやん!」
「ん?いいやん別に。私は私だし。何もそっちにダメージ与えてないし。」
「食べないかんやん!」
「うるさいな。それ言われるの一番しんどいんよ。生まれてからずっと言われ続けてる。友達や親戚やいとこや皆に。しまいにはノイローゼになるわ。じゃあ甘い物食べるのやめれる?今すぐに。たぶんそれと一緒やで。どうせ甘い物食べて腹痛いとか言うやん。自分がやめてから私に言ってよ。」
「え?(反論できず…)」
まあね…こんな感じですよ。
で、母はその3日後にケーキを食べて夜中に腹痛で1時間ほど苦しんだみたい。
ぷち霊視。
どんなに伝えてもいつも聞いてくれないけどね。
食べるって何だろう。
何で食べろ食べるなと他人に意見を言うのだろう。
私はもしそんなふうに言ってくる男性が居たなら友達にならない。
女性でもちょっと距離を置く。
実際にストーカーの元彼はLINEで私に食べろと言ってきた。
なぜだかLINEでは態度がでかくなる彼でいきなり口調もたちが悪くなる。
なるべく我慢して様子をみていたが食べろと言われた瞬間にプチン。
心底ムカついてしまって
私に対する性欲にもかなりムカついてしまって
「お前ええ加減にせぇーよ。殺っそこらぁ。あぁ。」
と電話で切れてしまった。
私は兄に鍛えられているため、こうなる。
男性に対してだけ。
女性にはキレない。腹が立っても無言だ。
怯えながら別れたくないと泣いて謝る彼だったが
そんなことよりも自分の意見を言えてスッとした。
もちろん彼とは別れたけれど。
食への意欲低下は小学時代の給食が原因だ。
残してはいけないシステムだったため
はき気がしても残すことは許されなかった。
昼休みになっても涙目でハンバーグをつつく。
もう入らないのに先生が隣で見張る。
なんだこれは。刑務所か?
本気でそう思った。
私は…おうと恐怖症だ。漢字すら見るのも辛い。
当時の担任は若い女性で大好きだったけれど
その日以来淡い想いはすーっと消えた。
人間は集まりがあると必ず皆で何かを食べる。
酒も飲む。
私にはそれが苦痛だ。
少しでも合わない物を食べると腹痛に襲われる。
私は栄養とかじゃなくって…
心の安らぎが欲しかった。
安心したなら食べられそうな気がした。
幼稚園時代、仲の良かった男の子の家で
夕飯を食べて行くようにお願いされて
つい食べて帰宅した。
美味しかった。楽しかった。
それはそれは穏やかな時間で
…初めて幸せだと思えた。
男の子の家を出て(笑顔で見送られて)
なんだか自分が大人になれた気がして嬉しくて
ニコニコして玄関まで歩いた。
それを祖母に話すと…間髪入れず物凄く叱られた。
「人様の晩御飯食べる子がどこにいる!次は絶対に食べますなよ!わかったんな!食べて帰ったら家に入れんで!」
ま、そんな祖母だ。
悲しいことに男の子のお母さんは
私が20代半ばの頃に娘さんの運転する車に乗車していた時に…衝突事故で亡くなりました。
娘さんは生きていました。
亡くなる数年前に彼と再会して、なぜか自動車事故現場に連れて行かれて私は不機嫌に。
彼は車が真っ逆さまに転落した場所を観察して他人事のように
「こりゃ落ちたら死ぬよね~。」
と笑顔で言った瞬間に、私はプチン。
「明日は我が身だよ。不謹慎過ぎる。私、帰りたいから今すぐ家までお願い。悪いけど今は喋りたくない。ってかこんな所に私を連れてくる感覚がわからない。いろんな意味で不愉快だ。」
彼は変な感覚だったのかもしれない。
親が借金をして、離婚になって
4人の子供たちは散り散りになって。
取り立てにでも追われていたのかもしれない。
小さな小さなとたんでできたような小屋でお父さんと生活をしていたようだ。
数年して…私は彼のお母さんのお葬式に行った。
彼には妹に喪服を貸してほしいと言われて貸したけれど、その喪服が返ってくることはなかった。
少し意味不明だったが、たぶん娘さんは辛さと闘っているのだろう。
と想像をしてすんなり喪服は諦めた。
あの時、夕飯を断らなくて良かったと思えた。
無口な私が美味しい美味しいと肉団子を食べる姿を見たお母さんは、本当に嬉しそうだった。
「おばちゃんの肉団子が一番美味しい!」
そう伝えたのだ。
…この大人嫌いの無口な私が。
今となっては信じられない。
けれど、後で思う。
大人に叱られることをしたけれど
すべてこれで良かったんだと。
肉団子を見るたびに思い出す。
幸せだったあの時間と彼のお母さんの嬉しそうな顔。
私は私らしく生きていく。
死にたくなっても…生きていく。
どこかで繋がる誰かとの瞬間のために。

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